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ラフカディオ・ハーンについて ポール・マレイ

日本の怪談をまとめた『怪談』は、パトリック・ラフカディオ・ハーン(1850-1904)が霊や超自然に生涯にわたって向き合ったことから生まれた最高の成果です。ハーンは両親に置き去りにされたことへの悲しみと、使用人に聞かされた身の毛もよだつ民話と、早熟にもゴシック物語を読んだことのせいで、ダブリンの幼年時代(1852-63)に悪夢を見るようになります。そしてそれは生涯鮮明に残りました。

ハーンは幼少期に三つの宗教から影響を受けました。イオニア系ギリシャ人の母親が信仰し、彼も洗礼を受けたギリシャ正教。アイルランド人の父親が信仰し、当時活発であったアイルランド聖公会のプロテスタント。そして、ハーンの後見人になった大叔母が信仰したローマ・カトリック。さらに、英国の寄宿学校時代(1863―67)に厳格なローマ・ カトリックに触れたことでキリスト教を嫌悪するようになります。その感情は一生消えることはありませんでした。 それでもハーンは、依然として超自然を信じる非常に霊的な人間でした。そして超常現象を信じない人々を軽蔑しました。オハイオ州シンシナティでジャーナリストをしていた波乱な青年期(1869-77)には、アメリカの物質主義を拒否し、経済的地位と人種を理由に過小評価された人々と関わることを重視する一方、記者として殺人や傷害事件を怪奇的に報じました。

ハーンはニューオーリンズ(1877-87)でジャーナリストとして活動すると、自由な想像をハーンならではの言葉で表現しました。この時期にフランス文学や様々なエキゾチックな文化を翻訳した経験は、後に日本に関する数々の作品を生むことにつながっていきます。とりわけ、ニューオーリンズで仏教と関わりを持つようになったことで、日本で書いた怪談作品では宗教的要素を取り入れることになります。 ハーンはマルティニークでの日々(1887-89)を描いた『仏領西インドの二年間』(1890)で、旅行記、分析、怪談などの複数の要素を織り交ぜた文学形式を作り出します。これはやがて日本に関する作品の枠組みとして用いられることになります。彼は『仏領西インドの二年間』で幼少期の恐怖へのフラッシュバックを経験すると共に、土地の民間伝承からゾンビの物語を掘り起こしました。 ハーンは通信員の仕事で1890年に来日してから、亡くなるまで14年間を日本で過ごしました。刺激的な文化に夢中になり、高等中学校と大学で教鞭を執り、結婚して4人の子供をもうけました。妻節子はハーンの日本関係の執筆に重要な貢献をしました。

ハーンの宗教に対する寛容さは、日本での初期の研究にも、晩年の作品の中心的テーマになった超自然にも、極めて重要なものでした。ニューオーリンズで膨らんだ仏教への関心に加え、土着的で霊魂信仰的な神道への早くからの情熱は、日本社会の基礎を研究する上での中心になりました。 ハーンは晩期に強い影響を受けた仏教から、『怪談』(人間と超自然の関わりを描いた物語集であり、民話と宗教の混合)の重要なアイデアを得ました。その後著した本の中でハーンは、青年期に苦しめられた恐ろしい妄想のことも述懐しています。アイルランド・カトリックと共存した異教の民間伝承に基づくものもありました。

日本とアイルランドの民間伝承には相似点が多くあります。例えば、浦島太郎の物語では、「夏の日の夢」(自由な想像をハーンならではの言葉で表現した)にあるように、竜宮城に連れていかれた漁師の息子が登場します。一方、アイルランドのアシーンの伝説でも、不老の楽園で女王と夢のような生活を送る人物が望郷の思いに駆られて帰郷し、悲劇的な結果を迎えることになります。ハーンは『怪談』で、不貞の夫に恨みを晴らすために幽霊となって戻ってくる女や、遠い昔に亡くなった侍の霊に死の世界へ誘惑される若い僧侶など、実に様々な人物を描くことによって、不可思議な霊的現象を巧みに呼び起こしています。 この『怪談』(1904)でハーンの超自然に関する研究の成果は頂点に達します。もともと英語圏の読者向けにアメリカで出版されたハーンの文学作品は、彼の死後数十年経って和訳され、彼が帰化した日本に大きな影響を与えてきました。これらの作品は学校の授業に取り入れられ、小林正樹監督『怪談』(1964)及び杉野希妃監督『雪女』(2016)など、数々の映画作品にもインスピレーションを与えてきました。ペンギン・クラッシックから出版された『日本の怪談話』(2019)はハーンの作品をカノンとして位置付けました。ハーンの『怪談』は、彼の死後一世紀以上にもわたり、様々なメディアと文化を通して読者にスリルと恐怖を与え続けています。

ポール・マレイによるラフカディオ・ハーンの伝記『ファンタスティック・ジャーニー』は、イギリス、アメリカ及び日本で出版された。日本では1995年に小泉八雲文学賞を受賞。マレイはハーンの怪談物語3作(「ナイトメア・タッチ」 (2010)、「カイダン:ゴーストストーリーズ・オブ・ラフカディオ・ハーン 」(2015)、「ラフカディオ・ハーン:ジャパニーズ・ゴースト・ストーリーズ」 (2019))の編集を行ったほか、渡邉 博史「カイダン:ストーリーズ・アンド・スタディーズ・オブ・ストレンジ・シングス」 (2019) の序論を担当した。ハーンと同じくダブリン出身のブラム・ストーカーの伝記を2004年に出版。1995年にダブリン市長から表彰状を授与れ、1999年にアイルランド・ジャパン・アソシエーション金賞を受賞。